【振り子の法則】リアリティトランサーフィン 第4章 ①
どうも、ナナシです。
やはり読んで頂いている方がいると嬉しいものですね。ありがとうございます。
飽き性で続かない性格なのですが、更新も頑張っていきたいと思います。
第3章までは主に振り子から自由になって幸福の波に乗ろう!というようなことを書いてきました。
第4章はそれに加え、”過剰ポテンシャル”という新たな概念が出てきます。
章のページ数が多いので、何回かに分けて解説していきたと思います。
第4章 バランス
過剰ポテンシャル
自然にあるもすべてのものが平衡状態を目指そうとする。気圧差は風によって均一化される。気温差は熱交換によって調整される。
いかなるエネルギーであっても過剰ポテンシャルが生じたところならばどこでも、不均衡を解消しようとする平衡力が働く。
浸透圧なんかも高いところから低いところへ移動するように、私たちを取り巻く周りのエネルギーも高いところから低いところへ移動し、一定のエネルギーになるということ
が起こっているようです。
過剰ポテンシャルは、目にも見えず感じることすらできないにも関わらず、人々の暮らしの中で強い影響力を持つ。また、それだけでなく、意地悪な役割を果たすことが特徴と言える。こうした過剰ポテンシャルを解消するように働く平衡力の作用は、多くの問題を生み出す。
意地悪な役割とは、しばしば意図したものとまったく逆の結果を得ることによる。
私も引き寄せについての記事を書きましたが、引き寄せることに成功して期待MAXでいたら自分の望むものではなかったみたいなことがよくあります。
これってまさに過剰ポテンシャルですよね。
仕事に全身全霊を捧げたら、優れた成果を得ることができるという意見があるが、それは間違っている。
もしあなたにとって、より多く働くということが、より多く稼ぎ、または自分の能力の強化を意味するのであれば、もちろんある程度の努力はする必要があるし、それでも何も問題は起こらないだろう。
しかし、すべてにおいて節度を心得る必要がある。もしあなたがひどく疲れたり、仕事が苦役になったと感じるならば、テンポをゆるめるか、まったく別の仕事に就く仕事がある。節度を超えた努力は、必ずや否定的な結果をもたらすことになるだろう。
これは日本人にはよくあることかもしれません。仕事中毒になっていて、家庭での時間や自分の時間がとれなくなってしまっている状態の方も多いと思います。
例えば、あなたが病気になったとしたら、給料がどうのこうのと言ってられなくなる。
あなたをうつ病が襲うかもしれない。あなたにとって重荷と感じることを自分に強いたら、病気にならないわけがない。理性は「さあ、金を稼ぐのだ!」と繰り返す。
しかし、あなたの魂は驚いてこうつぶやく。「まさか私は、苦しみもがくためにこの世に生を受けたわけではあるまい?私にとってこれらすべてのことは、いったい何のためなのだろう?」。結局、あなたは慢性疲労に陥る。こうなったら生産性云々の話ではなくなる。
生活を楽にするために働いてきたのに、何の甲斐もなかったという気がすることだろう。
この一節を読んでいたときに、ほんっとにそうなんだよ!と納得してしまいました。
生活の為に働かなければ!と思ってしまい、サビ残やパワハラなどに耐えた結果、体や精神を壊し、働けなくなってしまうなんていうことが本当によくあると思います。
過剰ポテンシャルを解消するために、仕事と自分の関係を意識して見直す必要があるということである。仕事以外で、好きなことに携わることのできる時間は、あなたにとって絶対に必要である。
職場に来たら、自分をリースに出すのだ。自分の両手と頭は貸し出すが、心までは譲り渡したりしない。
自分をリースに出すことは、だらしなく無責任に働くことを意味するわけでは決してない。これは、過剰ポテンシャルを作らず、執着せずに行動することを意味し、この際、あなたに要求されたことはしっかりとやり遂げなくてはならない。
仕事と自分の関係ってすごく難しいですよね。
仕事に人間関係が絡んできたりして、思うようにできなかったりすることも多いのではないでしょうか。淡々と仕事を片付けることができたら苦労しねーよ!と正直思ってしまう部分もあります。
そもそも、リースに出すという概念も通用しない、ブラック企業など破綻した職場で働いている場合は早く逃げて下さい。
「仕事にのめり込む」ことが正当化されているのは、唯一仕事があなたの目的である場合だけである。 そういう仕事であれば、かえってエネルギーを充填させてくれるだろうし、喜び、高揚感、満足感などをもたらしてくれる。
仕事を通じて偉業を成し遂げる方もやっぱりいるんですよね。
私はそういった偉人に憧れ、仕事で自己実現するんだ!みたいな意識の高さが、かえって過剰なポテンシャルを生み出し、苦しんでいたタイプです(笑)
きっと仕事が自身の目的であるとするならば、本人は仕事と意識せずに、自然と楽しんでしていることなのかもしれません。
とりあえず、今回はこの辺で終わります。